韓国人「壬辰倭乱の中で最も日本軍にボコられまくった戦いがこちら・・・」

この戦いで日本軍の戦闘力を削っておいたからこそ、湖南地方が無事だった可能性もある。

歴史を見ると、理性では後のために計画を立てて行動するのが正しいけど、感情的に絶対に譲れなくて戦った場合も多い。

その気持ちを理解できないほどではないから、何とも言いにくいな。

日本の有名武将が全部集まった戦いだったんだよな。
日本の伝説の一軍はここにいたんだよ。

それを相手に9日間も耐えたのだから本当に凄い。

鳴梁海戦の惨敗で、日本軍がもはや朝鮮征服は不可能だと悟り、釜山、順天、蔚山などに倭城を築いて持久戦を始めた頃、先に日本軍が明と朝鮮の連合軍に「この土地は我々が取るから休戦しよう」と提案してきた。

その時、大元帥の権慄が「晋州城で死んだ怨霊を思えば絶対に受け入れられない」と言った。

その戦いがまさに第2次晋州城の戦いだった。

現代の我々から見れば絶対に避けるべき戦いなのは分かり切ってるけど、当時はそれを知る術もなかったし、諦めることができなかったんだろうな。
それもそのはず、第一次晋州城の戦いで敗北して日本軍の補給が崩れたから、めちゃくちゃ怒ってたんだよ。
1.まず短期間で晋州周辺の民を完全に疎開させること自体が簡単ではない。

2.日本の言葉を信じて晋州城を空け渡して、そこを占領して湖南地方進軍の足掛かりにされたらどうする?

負けると分かっていても、晋州と民を守るために集まった義士たちは本当に偉大だ。

「信長の野望」を少しでもやってたら、ほぼみんな知ってる武将ばかりっていうのがマジで・・・。
日本側の指揮官たちはほとんど有名武将だった。

小早川隆景や伊達政宗なども参戦していた。

晋州城が戦略的要衝地だから、簡単に明け渡すと事実上、羅州や南原までの高速道路になってしまうんだよ。

南海岸の水軍の基盤も失うことになる。

当時、日本も明との休戦交渉で有利に立とうと、各地にいた有名な武将たちを総動員して参加させた戦いだったから、敗北以上に悲惨になるしかなかった。
先祖たちの気概がすごい。

死ぬと分かっていても行くなんて・・・。

この当時、たまたま日本が戦国時代が終わった直後で、経験値めちゃくちゃ高い奴らが来て攻略されたんだろ。

あれだけの徹底抗戦なら、普通は経験のない兵士相手なら、烏合の衆で自滅してただろうに。

こういう犠牲があってこそ、最終的に日本を撃退することに成功したんだ。



海外の反応ランキング   ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村