韓国人「18世紀の時点で既に日本の東京が大都市だった理由がこちら・・・」

韓国MLBPARKから「18世紀にすでに大都市だった日本の東京.jpg」という記事を翻訳しました。


話題の記事

18世紀にすでに大都市だった日本の東京.jpg

江戸の人口は18世紀前半に約100万人に到達し、ほぼそのうちの半分は武士とその家族、残りの半分は庶民たちだった。
この数十万人に達する武士は幕府の家臣団、全国の270~280余りの大名とその家族および各大名家の江戸邸宅に勤務する家臣たちだった。
18世紀には100万人の人口を達成していました。

ロンドンの人口は増加し続け、1800年には87万人に到達し、西ヨーロッパを代表する都市であるとともに、英国の象徴であり、世界をリードする優れた能力を誇っていた。

 

人口調査の結果によると、パリの人口は1801年の約55万人から1851年には約100万人と50年間で倍増し、1861年に170万、1876年に200万、1921年には290万人だった。

江戸時代と同時代のロンドンの人口87万人、パリの人口55万人・・・。


韓国の反応

この時代は高層ビルも無かったので、本当に人間で溢れかえっていたのでは?
壬辰倭乱の時、朝鮮から陶磁器の技術者を連行して、逃げないように監視しながら無理やり陶磁器を作らせて、それをメイドインジャパンとして海外に輸出し稼いでいたから。
>>壬辰倭乱の時、朝鮮から陶磁器の技術者を連行して、逃げないように監視しながら無理やり陶磁器を作らせて、それをメイドインジャパンとして海外に輸出し稼いでいたから。

明から清へ行こうする時期も重なって、中国の陶磁器輸出も空白状態にあったので、それも有利に働いた。

>>壬辰倭乱の時、朝鮮から陶磁器の技術者を連行して、逃げないように監視しながら無理やり陶磁器を作らせて、それをメイドインジャパンとして海外に輸出し稼いでいたから。

ところが、実は日本は陶磁器職人をめちゃくちゃ厚遇していたらしく、後になって陶磁器職人が朝鮮に戻りたがらなかったらしい。

朝鮮では職人たちをどのように扱っていたのか・・・。

>>後になって陶磁器職人が朝鮮に戻りたがらなかったらしい。

朝鮮は陶工に対する扱いが最悪だったので・・・。

しかし、この時連行された陶磁器食品のおかげで、日本の焼き物は大きく発展したんですよね。

>>後になって陶磁器職人が朝鮮に戻りたがらなかったらしい。

これは認める。

職人としてかなり待遇が良かったことで知られている。

>>後になって陶磁器職人が朝鮮に戻りたがらなかったらしい。

おかしな話だ・・・。

当時の我が国は労働力に対して対価を支払わず、それは今も変わっていないというwww

>>当時の我が国は労働力に対して対価を支払わず、それは今も変わっていないというwww

確かに今も技術者は海外にいますね、何も変わってませんwww

江戸周辺の平野部では、それだけの人口を養えるほど農業が盛んだったといわれていますね。
東京在住のユーチューバーが東京エリアの歴史について語っている動画を見たんだけど、本当に半端じゃなかったな。
商売が上手くいったことも大きいけど、参勤交代という地方勢力を抑えるシステムが上手く機能して人口が増えた側面もある。
日本はかなりたくさんの銀を持っていたというのもある。
陶工を連行して作らせた陶器をたくさん売って稼いだから豊かになった。

明から清への移行期だったから、陶器の輸出も停まっていて、そこで緩衝材として一緒に輸出していた絵画まで人気になったという。

こういう歴史スレが立つたびに、どうしてそんなに詳しく知ってるんだ?という人達が現れて、カッコ良く見える・・・。
ヨーロッパに陶磁器を輸出する時、緩衝包装紙として日本の伝統文化である浮世絵で包んで送っていた。

ヨーロッパの人々にはその浮世絵が素晴らしいと人気になった。

実は日本は開国する前から物凄い規模を誇る国だったんですよ。



海外の反応ランキング   ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村