韓国人「自分が日本で出会った素晴らしい日本人の教師の話がこちら・・・」

韓国MLBPARKから「自分は人生の半分を日本で過ごした人間です」という記事を翻訳しました。


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自分は人生の半分を日本で過ごした人間です

私は大企業でかなり上の立場にあった父親のおかげで、幼少から海外経験が豊富でした。

父の影響もあって小学生の頃に家族で日本に渡り長い間暮らしていました。

父は投票は必ずしなければならないと投票日に合わせて韓国出張するような人でした。金大中はダメだ。結婚は日本の女性とするべきだ。当時から父は「保守」そのものでした。

政治的傾向から歴史観念まで、幼少から、父の影響をたくさん受けていたと思います。

日本人は歴史的に我々に対して悪事を働いた悪い人間だという多くの敵意を持ったまま幼少を過ごしましたが、中学校に入って友達も多くなり、日本語も少し話せるようになった頃の、その当時の若い日本人の社会の先生のことを思い出します。

その当時、授業の中で植民地時代の話に触れることがあって、授業の前にその先生が皆の前で私に「××くんはテニスコートで会いましたよね?才能がありますよね。」と賞賛してくれた後「今日の授業内容はxx君が知っている内容とは正反対の内容になるでしょう。誰もが知ってることですが、歴史は主観的に書かれるものなので、授業内容があなたにとって気分の悪いものになるかもしれません。しかし、私はこの教科書通りに教えなければならない立場の人間です。テストでxx君が知っている内容で回答しても、少なくとも減点することはありません。歴史は書いた人間によって異なることもある、ということが授業の内容よりも重要だと皆さんに教えたかったのです。」と話しました。

敢えて普通に教科書通りに授業を進めていいところを、ただ外国からやってきた一人の子供に対してまで配慮してくださった方でした。

30年前の話ですが、その先生の名前を今でも忘れられません。

三一節、不買などの話が出ると、私によくしてくれた今では連絡も取れなくなった友人や知人、その他大勢の人たちのことをたまに思い出したりします。

スマホから書き込んでてどうやって終わらせればいいかわからず書いてるけど、歴史的な悲しみがあったとしても、こんな経験もあるのだと言いたかっただけです・・・。


韓国の反応

本人もそのように学んで成長したに違いありません。

学問的な良心を持つ人だったんですね。

20-30年前の日本でそのようなことを言うのは大変勇気のいることだったでしょう。

その先生の立場からすれば、自分の生活も仕事も守らなければならないものです。

歴史の判断の仕方をそのように教えることが、最低限の良心だったのだと考えられます。