韓国人「日本は既に400年前から西洋に外交使節団を送っていたことをご存じですか・・・?」

日本は1550年頃から西洋と交流を開始。

ポルトガルが一番最初で、その後はスペインを経てオランダへ・・・。

鎖国していても長崎でオランダとの交流は続いていた。

本当に残念だったのは、江戸幕府がイギリスを追い出して、オランダやポルトガルなどの国と出島で制限的にしか交易しなかったこと。

それからは黒船が現れるまで鎖国政策が展開された。

Netflixの映画に登場しそうなストーリーですね(ブルブルブルブル
日本は太平洋に面する島国で、中国の干渉や影響力からも解放されていて、九州は済州島よりも南側にあるから、南からやってくる西洋勢力と対峙するのもより有利だった。

日本は地震、津波を除けば、地政学的に我々よりも有利な国だった。

この人と似たような?人物で後の明治維新の頃にジョン万次郎?とかいう日本人漁師の一人が、アメリカの漁船に乗って英語を勉強し、日本に戻ってきて教授になったという話もある。

この話を聞いた時はめちゃくちゃ驚いた。

常に国際情勢を注視しなければならないということだ。
この当時、西ヨーロッパ、スペイン、ローマなどを歩き回っている時、どういう目で見られていたのだろう・・・?
情報)この人物よりも更に前、壬辰倭乱より前の1582年に日本は既に天正遣欧少年使節団と呼ばれる日本人の少年たちをイタリアのローマに派遣したことがある。
商人じゃなくて大規模な使節団を送っていたというのが本当に凄い。
それが日本が明治維新に成功する糧となった。

李氏朝鮮は近代化しようとしても、王から民まで西洋を受け入れることができなかった。

非西欧圏国家の中で西洋と交易し、自ら近代化に成功して強国まで成長した事例が日本しかいない。

つまり、貿易をいつから積極的に行い始めたかは、近代化の成功の有無に大いに関係があるということだ。

朝鮮より西洋勢力と早くから貿易していたことも日本の近代化成功に影響を与えたが、それよりも、他国に比べて比較的早く旧体制から西洋式の体制に変わったことが、より近代化に大きな影響を与えた。

Wikiを見ていると、鎖国政策をしていた時代にも海外へ出ていった日本人は結構いたらしい。
しかし、当時の基準からすると、朝鮮もそれほど世界から遅れを取った国ではなかったと聞いたことがある。
映画、ドラマを作るのにリアルにめちゃくちゃ良い素材に見える。



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