韓国人「実は日本が江戸時代の頃からめちゃくちゃ発展していた文化がこちら・・・」

韓国MLBPARKから「江戸時代、日本で出版文化が盛んだった理由」という記事を翻訳しました。


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江戸時代、日本で出版文化が盛んだった理由

前近代の多くの国々では文字の読み書きは支配階級の男性に限られた特権だったが、日本では「寺子屋」と呼ばれる庶民教育機関が広く普及しており、平民の子どもたちにも読み書きが教えられていた。興味深いのは、朝鮮の書堂とは異なり、日本の寺子屋には女の子も通うことができた点だ。さらに、女性が師匠(=教師)として子どもたちに教えることもあった。

武士階級の男子は別途、藩校などで儒教経典を学ぶ教育を受けたが、寺子屋の普及により、庶民や女性までもが本を読み、手紙を書く程度のリテラシーを有していた。

このような土壌は「読書欲求の高まり → 出版産業の発展」へと繋がった。各地に書店や貸本屋が並び、読書ブームが巻き起こった。当時のベストセラーは大衆向けの風俗小説にとどまらず、エッセイ、ユーモア集、各地の旅行ガイド、さらには主婦向けの料理本にまで及んだ。

出版文化がこうして爆発的に花開いた最大の要因は、「木版印刷の大衆化」にある。作者・彫師・印刷職人の分業体制が確立され、本のみならず「浮世絵」と呼ばれる木版画も流行した。

浮世絵の題材は有名な波の風景画に代表される名所絵から、旅日記、人物肖像、風俗画、春画に至るまで多岐にわたり、1760年代に多色刷り(色版分離技法)が登場すると、それらは「フルカラーポスター」のような形で市場に出回るようになった。

また、新聞の原型とも言える「読売(よみうり)」の登場も、この出版文化の延長線上にある。上掲の図は、なんと1615年に発行された徳川軍と豊臣軍の最終決戦(=大坂夏の陣)を報じた速報紙である。

このような「よみうり」は大量印刷され、売り子が街頭で大声で要約を読み上げながら販売したことに由来している。よみうりが取り上げた話題は、火災、地震、洪水といった自然災害や、殺人事件、男女間のもつれといった人々の関心を引く出来事が中心だった。

記事の内容にニュース性があると判断されれば、現場に取材担当が派遣され、取材記録をもとに原稿が印刷所に渡された。印刷職人は木版を用いて大量に刷り上げ、それを売り子たちが市中で配布・販売するという流通構造が確立されていた。

ただし、同時代のヨーロッパにおける新聞が啓蒙思想の影響を受け、政治批判や社説などを掲載する“報道機関”へと進化していたのに対し、日本の「よみうり」はあくまで情報伝達と娯楽性を主とする“タブロイド紙”的な性格にとどまったという限界もあった。

とはいえ、ペリー提督の黒船来航時にも、こうしたよみうりが速報として市中に出回っていたことは、日本における早期のマスメディア文化の存在を物語っている。



韓国の反応

寺子屋で識字率が上がったというより、経済成長で余裕が生まれて、いわゆる資本主義の芽が出はじめて文化の隆盛につながった。

全部寺子屋の功績みたいにまとめるのはおかしい。

一番大きいのは、日本は暑くて湿気が多くて木がよく育つから、木版印刷に向いていたこと。

逆に朝鮮は冷帯気候の地域が半分以上で、木がオンドル(暖房)で燃やされてしまって、ある時点で限界が来たケース。