韓国人「壬辰倭乱で朝鮮軍が日本に一方的にボコボコにされた理由がこちら・・・」
韓国MLBPARKから「朝鮮が壬辰倭乱の初期に日本にボコられるしかなかった理由」という記事を翻訳しました。
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朝鮮が壬辰倭乱の初期に日本にボコられるしかなかった理由
明宗の時代、倭寇の船団70隻、5000~7000人規模が全羅道へと攻め込んだ。
当時の朝鮮はこれを上手く防ぎ、倭寇を全て撃退した。
その後、また倭寇に攻め込まれることを心配したことから防備を徹底し、三南(慶尚道・全羅道・忠清道)全体に渡って防備体制を整え、最大5万人規模で侵攻を防ぐ準備をした。
この時は防備を過剰にするあまり、民を苦しめていると批難を浴びたほどだ。
そして、豊臣秀吉が20万人の日本軍を朝鮮に送り込んだ。
20万人規模の軍隊の上陸は、当時の常識を遥かに超える常軌を逸した規模だった。
+これまで攻めてきたのは寄せ集めの倭寇に過ぎなかったが、壬辰倭乱の際にやってきたのは戦国時代の百戦錬磨の正規軍だったこともある。
韓国の反応
戦国時代の人々は戦に明け暮れていた人達ばかりだから、長期間大きな戦乱が無かった朝鮮とは必然的に戦力の差があった・・・。
5万人規模で守る準備を進めてたのに、20万人も来たのか。
戦国時代といえば群雄割拠の時代だった。
日本の考え方がこちら側の考えまで変えた。
それだけの兵力を動員すれば本土全体ががら空きになっていたはず。
現代で考えても常軌を逸した作戦だ。
壬辰倭乱よりも前に倭寇が来ていたのは、自国も戦乱の渦中だったのに攻め込んできたということ?
>>壬辰倭乱よりも前に倭寇が来ていたのは、自国も戦乱の渦中だったのに攻め込んできたということ?
それは略奪のため。
海賊がメインだったから主に略奪しに来ていた。
当時の豊臣秀吉hあ既に天下統一を成し遂げたいたから、もはや自国で戦う必要が無かった。
だから全軍を率いて攻め込んできた。
それまでの烏合の衆とは訳が違った。
そして、その常軌を逸した兵数を送り込んできた秀吉幕府は2代で滅びたという。
その当時、20万人を率いて海外遠征が可能な国は日本と明くらいしかいなかった。
祖先が予測可能な範疇を超えている。
いくら天下統一された後とはいえ、秀吉の座を狙う人間が全国各地にいたんじゃないの?
その状況で全軍を出撃させるのは相当危なそうなんだけど。
>>いくら天下統一された後とはいえ、秀吉の座を狙う人間が全国各地にいたんじゃないの?
だから外部に共通の敵を作ったのだろう。
だから日本映画やドラマでも、豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め込んだことを描く時、正気じゃなかったという漢字で描いている。
自分が日本の大学に通っていた時は、日本人教授が壬辰倭乱について教える時、豊臣秀吉は恐れることなく朝鮮半島に攻め込んだ偉大な人物みたいな感じに解説してた。
兵力数もそうなんだけど、あの当時の日本軍は世界最高水準の精兵たちだった・・・。
平和な国の民衆を急に招集した兵力と、内戦で生涯を戦場で過ごした兵力とでは、戦闘力の差が途方も無かった。
>>あの当時の日本軍は世界最高水準の精兵たちだった・・・。
世界最強はさすがに大袈裟。
オスマン帝国全盛期の方が就老い。
それでも、先祖が5万人で準備をする中、将軍もそれなりに良い人選で、朝廷にも人材が豊富だったからこそ、何とか倭寇を防ぐことが出来た。
>>朝廷にも人材が豊富だったからこそ、何とか倭寇を防ぐことが出来た。
壬辰倭乱の時の人材プールは本当に素晴らしかった。
先祖たちは先見の明を持っていたようだ。
20万人(ブルブル